【ルーツ】北野天神社(きたのてんじんじゃ)


北野天神社とは?


北野天神社は、物部天神社(もののべてんじんじゃ)、國渭地祇神社(くにいちぎじんじゃ)、天満天神社(てんまんてんじんじゃ)の総称。

登録上の宗教法人名称は、物部天神社・國渭地祇神社・天満天神社。

近くに『北野(きたの)』という地名があるのだが、その地名の由来になった神社である。

【歴史】

日本武尊(西暦72~113年)が、東征時(西暦110年頃)に創祀したのが、始まりとされている。

物部天神社と國渭地祇神社は、今から約1000年以上前の平安時代からあったと思われる神社。天満天神社も平安時代に、京都にある北野天満宮の菅原道真を祀るために建てられた古い神社である。

江戸時代には、江戸幕府から朱印状を与えられた。

【住所】

埼玉県所沢市小手指元町3-28-44

※埼玉県所沢市の南西部、小手指中学校のそば。神社の西側に、20台分の駐車場あり。

【交通アクセス】

西武池袋線「小手指駅」南口から西武バス(椿峰ニュータウン行き)「北野天神前」下車すぐ。

御祭神は?


【物部天神社】

櫛玉饒速日命(諸願成就・病気治療)

【国渭地祇神社】

八千矛命(金運・縁結び)

【天満天神社】

菅原道真(学問)

※詳しくは、こちらを読むべし→『北野天神社』

参拝記録


2019年06月03日(月曜日)

エミシの末裔である自分のルーツを調べている中で、東北の豪族である安倍一族の本拠地、東北ばかりに目を向けていた。

しかし、関東。

つまり『武蔵国』で、私の先祖とされるいくつかの名字が、繋がっていた事実を知った。そうして東北にも同様に移り住み、関東と東北で繋がってもいたのだろうと考えられる。


西暦633年、聖徳太子の舎人として活躍し、仏教に理解のあった物部連兄麻呂が、武蔵国造に任じられた。物部家の本拠地は、現在の埼玉県南西部、入間市・川越市・狭山市・所沢市・富士見市・ふじみ野市などであった。

前に読んだ所沢史に関する本によると、『北野天神社の周辺には、物部一族の人々が暮らしていたと考えられる』というような内容が書かれてあった。

とにかく北野天神社の周辺には、縄文時代中期の集落跡である膳棚遺蹟などがある。なので古くから暮らしていた人々がいる地域に、物部一族が来たと考えられるようだ。


これまで毎年のように、蘇我家(曽我家)と関係のある高麗神社へ、初詣に行っていたのだが、2019年は絶対に、物部家と関係がある北野天神社へ参拝へ行こうと思っていた。

なぜならば、元はといえば、物部家から、蘇我家(曽我家)や藤原家や阿部家や阿倍家(安倍家)にも、繋がるからだ。先祖らが造った国、現在の埼玉県に移住した御挨拶そして先祖参りの為でもある。

なかなか参拝に行けず、6か月が経過(汗)そうなると、あっという間に年末になってしまう。なので今のうちに参拝に行かねばと思っていた。

03日の朝は、何となく、ふと行きたくなったのだ。後で知ったのだが『新月』だった!

北野天神社前に到着すると、鳥肌が立った。こんな経験は初めてだ。




参拝する直前に優しい風が吹いた。歓迎してくれている気がした。参拝後のおみくじ、大吉♪

帰る頃には、神主さんらしき方々が歩いてこられたので、御挨拶もし合えた。



↑これはInstagramにも投稿したが、写真の数が多いので、1つにまとめた。ご覧あれ。

【おみくじの内容】

いそしみし しるしはみえてゆたかにも 黄金なみよる 小山田のさと

漢字=勤しみし、著しは見えて豊かにも、黄金波寄る 小山田の里

意味=する事なすこと幸の種となって、心配事なく嬉しい運ですから、わき目ふらず一心に自分の仕事大事とはげみなさい。少しでも我儘の気を起して色や酒に溺れるな。

(一言で説明すれば「これまでの努力が実を結ぶ時期になってきた」ということのようだ)

【関連する過去記事】

『【ルーツ】物部家』

『【ルーツ】関東に存在した『日本王国』』

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